雨は良い。
雨は良い。
雨に抱く印象は千差万別だろうが、僕は雨が好きだ。
雨音は、雑音を消して世間の喧騒から隔離してくれるようで、自然と心が落ち着く。
雨の日のしとしととした雰囲気は、読書や思索に耽るのに適している。
時には、傘を差さずに雨に打たれてずぶ濡れになるのも悪くない。
雨上がりは、木々や草が青々としていて綺麗で、生気に満ち溢れている印象を受ける。
また、雨を表現する日本語も美しく感じるし、その語源を知ることも面白い。
丁度、今の時期は梅雨である。
梅雨は季節感をはっきりと感じさせてくれる。
僕は「梅雨」を「ばいう」と読むより「つゆ」と読む方が好きだ。
「つゆ」に関しても、語源には諸説あり、ここでいくつか挙げてみる。
- 「露(つゆ)」から連想した
- 梅の実が熟し潰れる時期である為、「潰ゆ(つゆ)」と関連づけた
- カビで物が傷んで費える為、「費ゆ(つひゆ)」から連想した
梅雨には、別名も多く存在する。
例えば、五月雨(さみだれ)。
「さ」は五月(さつき)を、「みだれ」は水垂(みだれ)を指しているそう。
言葉というのは思考の表層でもある為、日本語の意味や語源を知ることで思考や感性に深みが出てくると思われる。
雨に関する日本語を知ることは、雨をより楽しめるようになると僕は考えている。
このように僕は雨が好きなのだが、更に雨が良いと思うようになった切っ掛けがある。
以前見た、新海誠監督のインタビューである。
少し記憶が曖昧だが、このように言っていたと思う。
「雨の日って世界の情報量が増えると思うんですよね。雨音、水溜まりに映るネオンサイン、雨粒に逆様に映り込む景色、降り出した時のアスファルトからする匂いとか。」
この言葉を聞いた時、衝撃だった。
「雨の日は、世界の情報量が増える」だなんて。
この人はそんな豊かに世界を感じられるのか、と思った。
絵を描く人だからこその感じ方なのかもしれないが、
少なくとも僕はそれまで雨の日を「世界の情報量が増える」という捉え方をしたことがなかった。
雨に対して全体像で捉えて考えることが比較的多かった。
しかし、それからというもの、雨の小さな一つ一つの事象にも目を向けるようになった。
兎にも角にも、雨の見方がまた一つ増えて良かったと思う。
勿論、雨は良いことばかりではないが、雨の良さに目を向けて暮らす方が楽しい。
心持ち一つで大きく印象は変わる。
窮屈な心で、面白いと感じられる筈のことも逃してしまうのは損失だ。
自分は、より世界を豊かに感じられる様でありたい。
北海道には、蝦夷梅雨なるものはあるが、本州のような梅雨は無いと聞く。
それはそれで新鮮だと思う反面、どこか寂しさが残る。
〈番外編〉雨を好きになれる作品紹介
ブログの本記事からは少しずれるかもしれないが、作品を紹介する。
「言の葉の庭」という新海誠監督の短編映画が、個人的にお薦めな作品だ。
雨のシーンが多いが、鬱々とした感じではなく、綺麗な描写で、しとしととした感じも内容にあっている。
寧ろ雨を好きになれる作品だと思う。
個人的には、映画で絵や声優さんの演技を味わった後、小説を読むのがお薦めだ。
小説の方が心情描写が細かい上に、小説でしか描かれないシーンもある。
雨好きへの一歩に如何が?